おばさんの落ち穂ひろい

ほとんどガス抜き 誤字脱字すみません

母が亡くなってしまいました

「あ」 っとうまでした

おばさんは 封建的すぎる家庭で育ったので 親子してませんでした

なので 親の愛が得られない苦悩でいました

おばさんは 家族では 祖父のことが最も好きだったので

具合が悪いときは「私も いっしょに 死ぬーーー」って言ってたけれど

母に関しては 「マジ一緒に死なせてもらっていいでしょうか 母のいない世界の意味がわかんないんですけど ま ちょっと ちょっと あと10年 だけ どうにかならんすか いえ贅沢ですか 5年 いえ 1年でなんとか 手を打ちます いーや半年  せめて来月あたしの 誕生日はやめてよね」なんて

願ってましたが

ああ無情 あたしの誕生日の前日

やったわね すんげー仕返し・・・というか 恵みだね

肩の荷が降りました

 

祖父が亡くなり

母が病気になり

断片的な話しを つなげて 真の母の苦労を 知ってしまいました

桂小金治(わかるんだろうかこの感じ)が ずっと 語りかけてくるように 

「お母さんは本当はね、本当はね、、、」って

うわー これ

オリンピックは厳しいけど西日本の何かの大会では優勝するんじゃないか って思ってしまうくらい 

すんげー 重ね重ね 苦労だわ と思った

真面目で 善人で 忍耐する人は 主張しないから 子供までねじ曲げられた認識でいて

そんなんで 子供は辛く当たってたり・・・

田舎の人はスゲーわ(っておばさんんも田舎者だけど)

悔いた おばさんの人生 母にしてきたことを 悔いた

ごく一般的な親子だったらな 愚痴くらいも少し言ってくれてたらな

母を恨んでる気持ちも長くあったのですが

ごく最近 ひとりの人間としては この人素晴しいな 誰かが守ってあげなきゃな

心に寄りそって わかってあげて 感謝しなきゃ ・・・

 

ほんの数ヶ月で 誤解を解いて

「あーあたし最高に幸せっ」 って思ってもらえるようしなきゃいけない と

必死に ほぼ一日中 母の幸せについて 考え 探し 行動していたつもり

そんなことが仇になったかどうか やるほどに 苦悩と敵が増え 人生で最大の辛苦の中にいました

自尊心を捨てて行動し 絶望の中で 日々動いていましたが うまくやってあげられなかった

そんでも 日々変わる病状を 最も的確に捉えていたのは ドクターでも看護師でもなく おばさんだった

と思ってます

お通夜もお葬式もどうでも良いんだ カタがついたから

やらなきゃいけないけど

ほんの数ヶ月だったけれど 一生懸命やれたことが やっぱり おばさんにとっての恵みだった 母はどうなんだろうね いっつも自分の分はないもんね

神はいない と悔しく思い続け 母が亡くなったら 神はいる なんて優しく思える不思議 

転んでも恵まれてしまう おばさん・・・

もうあとは余生です・・・

 

笑い話なのか???

母の幸せは 

・義父(享年92)が自分の人生は良かったといってくれたこと

・義母(100歳目指して読書中)が死にそーなとこから回復したのは、母のお陰と義父が言ってくれたこと

母の心配は

・義父の言った通りに家がいってないこと(子孫繁栄・家の継承)

・おばさんが結婚してないこと

なので 10年前に別れた彼氏に電話しました 嘘でもいいから 結婚するって言ってくれ って(^^)

みんな爆笑するのですが 真剣ですけどね よく電話ができて そんなこと言えるもんだ って話しのようで フツーじゃない フツーじゃない って 

目の前にあるものは 食べなきゃわかんないでしょ フツー

 

あそうそう そんなんで 廃人化しそうな おばさんを救っていたのは

仕事の電話でした

レスポンスの悪さに イライラされた方も いらっしゃるかも

さーそん! これから キビキビ やりまーす (たぶん・・・)