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おばさんの落ち穂ひろい

ほとんどガス抜き 誤字脱字すみません

ややこしい・・・

海底1万mのボヤキ

ややこしい話しの 一端を かいてみます

 

曾祖父が渡米して 財を成したようです

今でも ○○屋 という屋号で呼ばれてます

 

で 祖父は 頭が良かったようで

10代前半からという話しですが

実に90歳までも

葬儀の弔辞を頼まれてまして

寄稿 なども頼まれていたし

講演とまではいきませんが

よく 人前で話す原稿を書いてまして

地域では有名であったと思います

政治関係の付き合いもあり

家には様々な人が たくさん 

毎日出入りしてました

深夜まで大勢いたり

昼食を食べていたり。。。

 

昭和後半です。。。

 

小学校の前半までのことですが

自分も地域では優遇されたな という気もします

 

なので 叔母たちは もっと だったのではないでしょうか

 

そういうことで

祖父の代では女学校行ってるのは鉄板で

祖母は祖父の妹の同窓生で

祖母は商人の子どもで裕福だったみたいです

 

叔母2人は 本人達が言うにですが

かなり贅沢だったみたいで

小学校でも ちょっと違う目で見られてたみたいです

 

なので 私は2人姉妹ですが 叔母たちと同じように

料理、裁縫、掃除、洗濯 ができて 腰掛けの仕事をするのが

当然の流れでしたが

既に 小学校 いえ 保育園から 男女平等の教育であっと思いますので

もう 大人たちとは 考えに かなり乖離があったのだとは思います

 

未だに 父は この考えは 変わってないと思います

叔母たちも 引きづられてる所もあります

叔母が『家の格』とか言うけれど

過去の話しで もう どっちかいうと

現代では 逆に 落ちた方だと思うんですが。。。

叔母たちだって 経済的にも社会的立場も高い位置にいると

言えないと思うんだけど

祖父で終わったんだ って。。。。。

 

父はうってかわって 何にもしてもらってないみたい

母は看護師ではありましたが(結婚前に辞めました)

実家は貧しく 山の上の マチュピチュか?ってくらいに

のどかな場所で育ってる人を疑わない人なのでした。。。

 

で 私は 両親とは離されて 育ってますので

幼いときは 叔母たちと

やっぱりデーパトへ行ったり

なんだかんだ買ってもらったりで

実際はド貧乏ですけど 

たまに 裕福に育ったとか 親にお金もらってるくせにとか

言われるのは そんな 幼い頃の 名残で 

どっか 余裕かましてる風なのかもしれないです

 

 

なので 両親との記憶もほとんどないですし

暮らしぶりも 小学校低学年までは 両親とは

違っていたと思います

 

母のやってみたいことのひとつは

親子で外食すること だったそうです

死後、知人から 聞きました

 

初孫だし ワガママに育ってますね。。。

小学校後半からは ちょっと事情が変わります